【旧燈明寺・御霊神社(京都府木津川市)】五観音に往時を偲ぶ

京都府木津川市、加茂駅近くのなみ村に位置する旧とうみょう寺とりょう神社。

燈明寺は昭和二十七(1952)年に廃寺となってしまいましたが、収蔵庫に収められた五軀の観音像と御霊神社が当時の面影を残します。

本記事では、三渓園に移築された本堂・三重塔についても触れながら、旧燈明寺と御霊神社をご紹介します。

燈明寺はこんなところ

燈明寺は奈良時代に行基によって開かれたとも、平安時代に弘法大師の弟子であるしんぎょうによって開かれたとも伝わります。一時は荒廃しましたが、康正二(1456)年に天台宗の僧けんしょうぼうにんぜんによって、本堂や三重塔が建立されるなど伽藍が整備がされました。

その後再び荒廃した燈明寺ですが、兎並村の領主であった津藩主藤堂家の助力を得て、寛文三(1663)年頃にほんこくの僧にち便べんが再興し、宗派を日蓮宗へと改めました。現在も境内に残る庫裡や鐘楼は、このときに建立されたものです。

明治以降は次第に寺勢が衰え、大正三(1914)年に三重塔が三渓園に移築されると、ついには昭和二十七(1952)年に廃寺となります。廃寺後には本堂も三渓園に移築されました。
(川合京都仏教美術財団発行のパンフレットより)

旧燈明寺と御霊神社は加茂の町を見下ろす高台に位置し、境内には御霊神社本殿と社務所、旧燈明寺の庫裏が立ちます。本堂跡には収蔵庫が建てられ、五観音像をはじめとするお寺の歴史を物語る多数の文化財が収められています。

普段は収蔵庫の公開は行っておらず、一年に一度、文化の日を含めた数日間のみ公開されます。

境内を散策する

境内は以下の通りです。

出典:筆者作成

復元された参道

加茂駅から東へ向かってしばらく歩くと、立派な参道と石鳥居が現れます。

こちらの参道と石鳥居は近年復元されたものであり、かつて参道の両脇は田んぼであったそうです。

参道は一部のみの復元で御霊神社までは続いていませんが、そのまま真っすぐ東へ向かうと石段が見えてきます。

こちらの石段をのぼったところが旧燈明寺の境内地です。

在りし日の面影を伝える境内

こちらが境内地の現況です。御霊神社の本殿や社務所、収蔵庫が立ち、神社右手の坂道を登ったところが三重塔跡になっています。

廃寺というと荒れ果てた様子を想像されるかもしれませんが、ご覧のようなとても綺麗な状態で管理されています。

寛文十二(1672)年に建立された庫裏は旧燈明寺を偲ばせる唯一の建物ですが、内部の老朽化が著しいため公開はされていません。

本堂跡には五観音像が安置されている収蔵庫や鐘楼が立ちます。

梵鐘は住職の日進と檀家の協力によって貞享五(1688)年に鋳造されました。その隣に立つ石塔は鎌倉時代のものです。

かつて燈明寺には鎌倉時代に建立された石燈籠がありましたが、大破した本堂の修復費用を賄うため享保十二(1727)年に三井家へと売却されました。後に三井家から寄贈され、現在は真正極楽寺(京都市左京区)に現存します。こちらの燈籠はその模作です。

かつて三重塔が立っていた場所には礎石ひとつ残っておらず、当時の面影はありません。

五観音に往時を偲ぶ

川合京都仏教美術財団発行の絵葉書

川合京都仏教美術財団によって管理されている収蔵庫には五観音像や燈明寺縁起、瓦など多数の文化財が安置されています。

近世の地誌類では本群像を「六観音」と記しますが、後述する違いから本来一具として造立されたわけではないと考えられます。主な違いとしては、千手観音が頭体幹部を一材より彫出し、漆箔仕上げとするのに対し、ほかの四軀は頭体別材製で二材、あるいは三材を矧ぎ、素地仕上げする点、また、大きさもほぼ等身大の千手・不空羂索・十一面観音に対して、聖・馬頭観音は三尺像とする点などが挙げられます。

このことについては、千手観音がご本尊としてお祀りされていた燈明寺に、不空羂索・十一面観音が興福寺よりもたらされ、さらに聖・馬頭、現在は失われた如意輪観音が新たに造立されて六観音とされたとする説が存在します。

  • 千手観音立像
    木造(桧)漆箔、一木造、像高172cm、鎌倉時代後半頃、府指定文化財

千手観音はもと燈明寺のご本尊であり、不空羂索・十一面の両観音とは作風が異なるものの、面相や衣の表現に鎌倉時代後期の特徴が認められるため、同時期の制作と考えられています。

  • 不空羂索観音立像
    木造(桧)素地、寄木造、像高180cm、徳治三(1308)年、府指定文化財

昭和六十(1985)年に実施された保存修理に際して像内から納入品が発見され、徳治三年一月十日に興福寺おんいんにおいて、仏像を一日のうちに造立供養する「一日造立仏」として制作されたことが判明しました。一日造立仏は日本で三例しか確認されておらず、大変貴重な作例といえます。ちなみに残りの二例は乙訓寺(京都府長岡京市)の十一面観音と西芳寺(奈良県宇陀市)の薬師如来です。

  • 十一面観音菩薩立像
    木造(桧)素地、寄木造、像高182cm、徳治三(1308)年頃、府指定文化財

十一面観音は大きさや構造、簡略化された造形が共通することから同一作者による同時期の作と考えられています。

これに関連して明治初期の興福寺では、りゅうじゅいん伝来の不空羂索・十一面の両観音が一言観音堂にお祀りされており、両尊を一具とする信仰形態があったようです。

  • 聖観音立像
    木造(桧)素地、寄木造、像高109cm、鎌倉時代後半頃、府指定文化財
  • 馬頭観音立像
    木造(桧)素地、寄木造、像高111cm、鎌倉時代後半頃、府指定文化財

聖観音は頬が長く、陰りのある表情が鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて奈良を中心に活動したこうじょうの作風を示すことが指摘されており、体型や衣文の表現に共通点が見られる馬頭観音も同じく康成の作と考えられています。
(以上 『特別展 聖地南山城 展覧会図録』より)

鮮やかな朱色が美しい御霊神社

かつては燈明寺の鎮守社として建立された御霊神社ですが、燈明寺が廃寺となったため現在は兎並の産土神としてお祀りされています。

重要文化財に指定されている本殿と四棟の摂社が残り、朱色の社殿とみずがきが目を引きます。

本殿は三間社ながれづくり、屋根は桧皮ひわだぶきであり、南北朝時代に建立された氷室神社(奈良市)の古社殿を移築したものと伝わります。

平成九年に実施された修理の折に屋根の葺き替えと丹塗りの塗り直しが実施されました。

御祭神は桓武天皇の弟である崇道天皇をはじめとして、井上内親王・他戸おさべ親王・藤原吉子・ぶんやのみやたちばなのはやなり吉備きびの真備まきびほのいかずちのかみとされています。

「納曽利」の舞
「蘭陵王」の舞

本殿両脇の板障子には、それぞれ「」の舞(左側)・「らんりょうおう」の舞(右側)が描かれています。古来から御霊会では、怨霊を慰撫するため相撲などが神事として催されました。相撲の勝負の後には勝負舞と称される舞が行われましたが、その際左の力士が勝ったときは「納曽利」の舞が、右の力士が勝った時は「蘭陵王」の舞が舞われたそうです。
(神社で配布されていた資料より)

板障子の裏面には力士が描かれています。

三渓園に移築された本堂と三重塔

燈明寺の本堂と三重塔は三渓園(神奈川県横浜市)に移築され、とくに三重塔は三渓園のアイコニックな存在として親しまれています。

創建当初の姿に復元された本堂

本堂は賢昌房忍禅によって康正二(1456)年に建立され、昭和中頃までは燈明寺に現存しましたが、昭和二十三(1948)年の暴風雨によって大破・解体されます。暫くは現地で部材が保管されていましたが、後に三渓園に移築、修復されました。

本堂は桁行五間・梁間六間、入母屋造のお堂であり、前方に一間のこうはい(本堂前面の張り出した部分)が附されます。正面三間をさんから、その両脇間をれんまどとし、両側面は前方一間を桟唐戸、残りの五間を塗壁とします。

軒裏はだるえんだるがともに角形のふたのきしげたるとなっており、組物はみつ、中備えとしてけんづかがあしらわれています。

※廻り縁まで立ち入り可能であった時期に撮影しています

しゅだん上には十一面観音のレプリカが安置され、内部に立ち入ることはできないものの、扉が開かれているため内陣までよく見学することができます。

※廻り縁まで立ち入り可能であった時期に撮影しています

梁や柱からは年季が感じられますが、大破・解体されていたとは思えない綺麗な状態です。

また、本堂について調べていたときに興味深い来歴を見つけたためご紹介します。

西暦事項
1948年暴風雨により本堂が大破、解体される
1950年本堂が重要文化財に指定される
1982年本堂部材等を三渓園に移す
1987年修復が完了し竣工

出典:川合京都仏教美術財団のHPを参考に筆者作成

解体された本堂の部材がどのような状態で保管されていたかはわかりませんが、約40年にわたってお堂としては現存していないにも関わらず重要文化財に登録されていたことになります。こういった例はあまり聞いたことがなく、大変珍しいのではないでしょうか。

関東地方最古の塔

三重塔は本堂と同時期の康正二(1456)年から翌年にかけて建立され、大正三(1914)年に三渓園に移築されました。

昭和二十(1945)年の空襲で大きな損傷を受けたものの、修復されて現在に至ります。

高さは23.9mで、三層とも方三間とし、屋根は本瓦葺です。

塔は基壇上に立ち、初層は中央間を板唐戸、両脇間を板張りとし、高欄のない廻り縁を配します。

軒裏はだるえんだるがともに角形のふたのきしげたるとなっており、組物はだるさき、各間に中備えとしてけんづかがあしらわれています。

二層目と三層目には高欄附きの廻り縁が配され、二層目は各間に、三層目は中央間のみ中備えとしてけんづかがあしらわれています。

相輪は一般的な構造であり、水煙は唐草文様です。

まとめ

廃寺となって既に70年以上が経過しますが、御霊神社や五観音像が今も残されるなど往時を偲ぶことができる旧燈明寺。境内はいつでも拝観することができますが、収蔵庫は文化の日の前後数日のみの公開ですので五観音像の拝観をご希望の方はご注意ください。また、横浜にお出掛けの際は、ぜひ三渓園にも足を運び、本堂と三重塔もご覧になってみてください。

旧燈明寺・御霊神社へは、最寄り駅の「JR加茂駅」から徒歩10分ほどです。お寺には駐車場がありませんので、お車でお越し場合は石段下の車止め前か新川沿いの空き地に駐車することになります。

歩いて10分ほどのところには美しい十一面観音がお祀りされる現光寺があり、同じく秋に特別公開が実施されます。

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基本情報(旧燈明寺・御霊神社)

  • 正式名称
    本光山燈明寺
  • 所在地
    京都府木津川市加茂町なみ寺山41
  • 指定文化財
    重要文化財(御霊神社本殿)
    府指定有形文化財(木造千手観音立像、木造十一面観音立像、木造不空羂索観音立像、木造聖観音立像、木造馬頭観音立像)
  • 鉄道アクセス
    JR関西本線「加茂駅」から900m/徒歩約10分
  • 駐車場
    無し/境内入口の石段下に1台、新川沿いに数台停車できます
  • 拝観時間
    境内自由/収蔵庫は特別公開時のみ拝観可能
  • 拝観料
    無料
  • ご朱印
    無し
  • 所要時間
    約15分
新川沿いの駐車スペース
階段下の駐車スペース

基本情報(三渓園)

  • 所在地
    神奈川県横浜市中区本牧三之谷58−1
  • アクセス
    三渓園のHPを参照
  • 駐車場
    あり/約80台/2時間500円
  • 開園時間
    9時~17時(入場は16時半まで)
  • 入園料
    区分入園料
    一般700円(600円)
    子ども200円(100円)
    横浜市内在住の65歳以上200円

    ※カッコ内は団体料金

参考
川合京都仏教美術財団発行の絵葉書と栞
川合京都仏教美術財団HP 最終アクセス2024年10月20日
奈良国立博物館. 2023.『特別展 聖地南山城 展覧会図録』奈良国立博物館