本記事では、高松城の月見櫓と水手御門、北の丸について詳しくご紹介します!
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北の丸
北の丸は東西に細長い小規模な曲輪であり、五代城主松平頼重によって新造されました。月見櫓・水手御門・渡櫓と三棟の建造物が現存し、明治初期までは曲輪の北東隅に鹿櫓という二重櫓が立っていました。
北の丸と三の丸は背丈の低い石垣で隔てられており、曲輪の入口には簡易的な門が設けられていたようです。
かつて北の丸と三の丸の北側は海に面していましたが、埋め立てが進行して現在は堀のようになっています。
北の丸はL字型の小さな曲輪であり、月見櫓と水手御門のほかには何もありません。
月見櫓-鹿櫓台間の石垣上にはかつて多門櫓が立ち、多聞櫓を通って両櫓を行き来できたようです。
曲輪北東隅に位置する鹿櫓台。鹿櫓は明治時代まで現存しており、古写真から二層二階の櫓であったことが確認できます。
北の丸と同時期に同じく新造された東の丸とは石垣で隔てられ、現在も虎口が残ります。
月見櫓と水手御門
海手側の玄関口である月見櫓と水手御門は六代城主松平頼常の治世下である延宝四(1676)年に竣工しました。
(文化財登録上は三重櫓とその右側に接続する平櫓を総称して月見櫓としますが、本記事では三重櫓を月見櫓、平櫓を続櫓とします)
右手の独立した平櫓は渡櫓といい、月見櫓と続櫓とは異なり前面に引き戸が設けられています。
通常は見学できませんが、渡櫓内の壁の一部は水平方向に渡された貫を隠すように塗り込み、縦方向に波打った波形真壁という珍しい造りになっています。
前方に石落としと格子戸、二門の鉄砲狭間、内側に格子窓が設けられるほかに目立った装飾は見られません。
石落としは、煤と柿渋で作られた墨を塗った板を漆喰の上に張った下見板張となっています。漆喰は内部に水が浸透しやすいため、外部に張り出した石落としは下見板張としたのでしょうか。
前述のとおり北の丸は築城後に拡充された曲輪ですが、渡櫓下部の石垣の継ぎ目はその痕跡です。
継ぎ足し前から存在する写真左手側の石垣上からは海手門と称された門の礎石が発見されています。
水手御門は本瓦葺、切妻造の薬医門であり、海手側の大手門と考えると少々簡素な印象も抱きます。
藩主が参勤交代で海へ出る際は水手御門から小舟に乗り、沖に停泊する御座船へ乗り換えて大坂へと向かいました。
水手御門は毎週日曜日の9時~12時/13時~15時に月見櫓の内部公開と同時に開扉されます。
開扉時はぜひ外へ出て、普段とは異なるアングルから月見櫓や門を眺めてみてください。
月見櫓と続櫓は一体化しており、互いの内部を行き来することが可能な構造となっています。
続櫓は渡櫓と比較するとやや小さいですが、似たような構造の平櫓です。
こちらは引き戸が城内側に設けられており、月見櫓の内部見学の際はこの扉から出入りします。
月見櫓は三層三階、本瓦葺、入母屋造であり、初層が五間、二層目が四間、三層目が三間と規則正しく逓減する層塔型です。
各層にあしらわれた長押(水平方向に配された柱)が印象的であり、海の玄関口にふさわしいすらりとした優美な佇まいです。
月見櫓は概ね左右対称の造りとなっており、妻側の初層に切妻破風、二層目に唐破風、三層目に入母屋破風、平側の初層に唐破風があしらわれています。
初層の海側には石落としを兼ねた出窓が設けられ、内側には石落としはないものの、同じような意匠の張り出しが確認できます。
軒裏は垂木が露出しておらず、漆喰を平らに塗り籠めた板軒という珍しい構造となっています。
月見櫓の内部
月見櫓台は続櫓より一段高くなっている都合上、両櫓は階段によって接続されています。
一階は瓦や資料などが置かれた展示スペースとなっており、展示資料を読むと月見櫓のことを詳しく知ることができるかと思います。
月見櫓内の見学をする際にぜひ注目したいのが壁面に所狭しと並べられた鉄砲狭間です。外観からは正面続櫓側の二門しか確認することができませんが、実際には無数の狭間が配置されているのです。
二層目は展示物もなく、階全体を一目で見渡せるため櫓自体の構造をじっくりと見学することができます。
窓には格子が設けられておらず、引き戸が開かれていると非常に開放感を味わえるのではないでしょうか。
櫓の中心を貫く武骨な四本の柱を四天柱といいますが、これらの柱は一本の木から切り出されたものではなく、途中で柱を継いでいることを二階で見ることができます。
最上階の三階は少し手狭に感じます。
広々と開け放たれた窓から二層目の屋根を見下ろしてみると、松平家の家紋「三つ葵」があしらわれた紋瓦がふんだんにあしらわれていることがわかります。
こちらは瀬戸内海側の眺望です。海が間近に迫り、海風を肌で感じられるのは高松城ならでは。
写真の左端に位置する城郭風の建造物は江戸時代に鋳造された鐘が架けられた鐘楼です。
ここに安置されている鐘は報時鐘といい、城下の人々に時刻をを知らせるため五代城主松平頼重のときに鋳造されました。報時鐘はかつて外堀の土手に設けられた鐘楼にかけられていましたが、所在を転々とした後に市政施行90年を記念して1980年にこちらに置かれることとなりました(鐘楼はこのとき建造されたものです)。
次の記事では、二の丸・本丸・東の丸について詳しくご紹介します。
本記事では、高松城の二の丸・本丸・東の丸について詳しくご紹介します! 前回までの記事はこちら。 [sitecard subtitle=前回の記事① url=https://www.masktomoe23.com/ta[…]
参考
高松市公式観光サイト 最終アクセス2022年9月7日