【高松城(香川県高松市)】③ 海の玄関口 水手御門と月見櫓

本記事では、高松城の月見櫓・水手御門・渡櫓と北の丸について詳しく紹介します。

前回までの記事はこちら。

前回の記事①

香川県高松市、高松駅の目の前に位置する高松城。水堀が張り巡らされた日本有数の海城には2つの三重櫓や巨大な天守台が残ります。高松城はこんなところ生駒親正は豊臣秀吉から讃岐国を与えられ、天正十五(1[…]

前回の記事②

本記事では高松城の艮うしとら櫓やぐらと桜御門、桜の馬場、三の丸について詳しくご紹介します!基本情報や見どころをまとめた前回の記事はこちら。[sitecard subtitle=前回の記事 url=https://[…]

北の丸

北の丸は東西に細長い小規模な曲輪で、五代城主松平頼重によって新造されました。月見櫓・水手御門・渡櫓が現存し、かつては北東隅に鹿櫓という二重櫓が立っていました。また、月見櫓と鹿櫓は多聞櫓でつながっていたようです。

出典:筆者作成

北の丸と三の丸は石垣で隔てられており、北の丸の入口には簡易的な門が設けられていたようです。

かつては石垣の外側に海が広がっていましたが、埋め立てられて現在は堀のような状態に。

北の丸はL字型の小さな曲輪で、月見櫓・水手御門・渡櫓の他には何もありません。

曲輪北東隅にある鹿櫓台。鹿櫓は明治時代まで現存しており、二重二階、本瓦葺入母屋造であったことが古写真から確認できます。

東の丸とは石垣で隔てられ、現在も虎口が残っています。

月見櫓・水手御門・渡櫓

 

海手側の玄関口である月見櫓・水手御門・渡櫓は、延宝四年(1676)六代城主松平頼常の時代に上棟しました。

それでは櫓や門を1つずつ詳しく見ていきましょう。

(文化財登録上の「月見櫓」は三重櫓と南側の続櫓の両者を指しますが、本記事では三重櫓のみを月見櫓と呼称します)

渡櫓は本瓦葺入母屋造の平櫓で、外側に石落とし・内側に格子窓が設けられています。月見櫓とその続櫓とは異なり、入口が前面に設けられています。

内部に立ち入れないため見学することはできませんが、内壁の一部は波型しんかべという縦方向に波打った真壁になっています。

石落としは、煤と柿渋で作られた墨を塗った板を漆喰の上に張った下見板張になっています。漆喰は内部に水が浸透しやすいため、雨がかかりやすい張り出した石落としだけは下見板張にしたのでしょうか。

冒頭で「北の丸は五代城主松平頼重によって新造された」と述べましたが、この石垣の継ぎ目はその痕跡です。

継ぎ足し前から存在する石垣上からは、海手門と呼ばれる門の礎石が発見されています。

水手御門は本瓦葺切妻造の薬医門で、海の玄関口としては少し簡素な印象です。

藩主が参勤交代などで海に出る際は、ここから小舟に乗り、沖に停泊する御座船に乗り換えました。

毎週日曜日の9時~12時・13時~15時には、月見櫓の公開と併せて開扉されます。

門から出て、普段とは異なるアングルで門と櫓を眺めてみてください。

月見櫓と続櫓は一体化しており、内部で行き来することができます。

続櫓は本瓦葺入母屋造の平櫓で、月見櫓を見学する際はこちらから出入りします。

月見櫓は三重三階、本瓦葺入母屋造で、初層五間・二層四間・三層三間と規則正しく逓減する層塔型。

各層に配された長押なげし(水平方向に配された柱)が非常に印象的で、海の玄関口にふさわしい優美な佇まいです。

概ね左右対称の造りになっていて、妻側は初重に切妻破風・二重目に唐破風・三重目に入母屋破風、平側は初重に唐破風があしらわれています。初層の海側には石落としを兼ねた出窓が設けられ、内側には同じような意匠の張り出しが確認できます。

軒裏は垂木を隠して平らに塗り籠めた板軒型になっており、こちらも珍しい特徴といえるでしょう。

月見櫓内部

続櫓から月見櫓へ。2つの櫓は引き戸で区切られています。

一階には瓦や資料などが展示されています。

中央の四本の柱は三階の天井まで伸びており、四天柱といいます。

石落とし

外からは3つしか確認できない鉄砲狭間ですが、見えないように隠されているだけで実際は所狭しと配されています。

階段は急な上によく滑るため、充分に注意して二階へ上ります。

二階は柱も少なく展示などもないので、非常にすっきりとした印象。

月見櫓の窓は全て引き戸で、格子が設けられていないため非常に開放感があります。

四天柱は一本の木から切り出されたのではなく、途中で継がれていることが確認できます。

三階にもなると少し手狭に感じるでしょうか。

複雑に組み合わされた武骨な柱が剝き出しになった天井。

松平家の家紋「三つ葵」があしらわれた紋瓦がふんだんに使用されています。

月見櫓からの眺望。すぐ近くに海を見ることができ、海風を感じられるのは高松城ならでは。

写真左端にある城郭風の建造物は、高松城にゆかりのある建物ですので紹介します。

こちらに安置されている報時鐘は、城下の人々に時を知らせるため五代城主松平頼重のときに鋳造されました。鐘は当初外堀の土手に設けられた鐘楼に懸けられていましたが、所在を転々とした後に昭和五十五年(1980)に市政施行90年を記念してここに安置されることになりました(鐘楼はこのとき建造されたものです)。

次の記事では、二の丸・本丸・東の丸について詳しく紹介します。

次の記事

本記事では、高松城の二の丸・本丸・東の丸について詳しく紹介しています。前回までの記事はこちら。[sitecard subtitle=前回の記事① url=https://www.masktomoe23.com/t[…]

 

参考
高松市公式観光サイト 最終アクセス2022年9月7日