本記事では、伽藍三堂と東塔・西塔、當麻曼荼羅について詳しくご紹介します!
基本情報や見どころをまとめた前回の記事はこちら。
奈良県葛城市、二上山の東麓に位置する當たい麻ま寺でら。日本で唯一東西双塔が揃って現存する寺院であり、當麻曼荼羅信仰と中ちゅう将じょう姫ひめ伝説が有名です。當麻寺はこんなところ推古天皇二十(612[…]
堂々とした仁王門と飛地境内に立つ薬師堂
お寺に真っすぐ続く参詣道を歩いていくと、お寺の東大門にあたる仁王門が見えてきます。仁王門は延享二(1745)年に上棟された本瓦葺入母屋造の楼門であり、現在は県の指定文化財です。
筆者がお詣りした2022年7月時点では、ミツバチが頭部に巣を作った影響により、阿形像は解体修理中のため不在でした。その際希少種のニホンミツバチであること、殺して駆除するのではなく、生かしたまま移動させたいというお寺の意向から境内に新しい巣箱を設置してミツバチは保護されました。
2024年現在は阿形像は仁王門に戻っており、続いて吽形像の解体修理が進行中です。吽形像の修理が完了し、両像が揃うのは2025年の予定です。
當麻寺の境内は東西に細長く、三堂伽藍へ続く参道の左右には塔頭寺院が立ち並びます。
仁王門から境内に足を踏み入れるとまず目にするのがこちらの鐘楼です。鐘楼に架かる梵鐘は白鳳時代に鋳造された日本最古のものとされ、国宝に指定されています。
鐘楼の正面に位置する薬師門の外側には薬師堂が鎮座します。薬師堂は文安四(1447)年に建立され、現在は国の重要文化財に指定されています。
薬師堂は方三間、本瓦葺、寄棟造の建物で、正面三間が桟唐戸、両側面は前方一間が桟唐戸、二間目と三間目は塗壁となっています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は出三斗、正面の中央間以外には中備えとして間斗束があしらわれています。
本堂と當麻曼荼羅
境内の中心に位置する本堂は当初千手堂として天平時代に建立され、現在は国宝に指定されています。
本堂の内部は内陣・外陣・外々陣に分けられており、内陣部分が天平時代に建立された千手堂に該当し、永暦二(1161)年に外陣部分(礼堂)が拡張され現在のお堂になりました。
本堂は桁行七間・梁間六間、本瓦葺、寄棟造の建物であり、堂内は内陣と外陣・外々陣に分けられています。現在の内陣部分が天平時代に建立された千手堂に該当し、永暦二(1161)年に外陣部分(礼堂)が拡張され現在の姿になりました。
正面は両端の一間が上半を連子窓・下半を蔀戸とし、それ以外の五間は板戸とします。
両側面は前方一間を板壁、二間目~五間目を蔀戸、六間目を連子窓とします。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は出三斗、中備えとして間斗束があしらわれています。
本堂の背部には桁行三間・梁間一間の小屋が附されていますが、これはは閼伽棚(仏に供える水や花を置く棚)といいます。
内陣中央の須弥壇上にご本尊の當麻曼荼羅をお祀りする厨子が置かれ、その右側に中将姫像を納める厨子が、左側に来迎阿弥陀如来が安置されています。左右(南北)端の桁行一間分は小部屋になっており、それぞれ十一面観音や役行者像がお祀りされています。
- 厨子
木造(檜)漆塗、六角形で総高501cm・幅398cm・奥行133cm、天平時代 - 須弥壇
幅9m・奥行4.5m、寛元元(1243)年
源頼朝の寄進によるもので、螺鈿の紋様が美しい
(以上国宝) - 文亀曼荼羅
絹本著色、縦378cm・横388cm、法橋慶舜筆、文亀二(1502)年 - 貞享曼荼羅
絹本著色、縦415.7cm・横429.7cm、青木良慶・宗慶筆、貞享三(1686)年
(以上重要文化財)
本来のご本尊である綴織當麻曼荼羅図(以降原本)は損傷が激しいため通常は非公開となっており、かわりに原本を転写した「文亀曼荼羅(以降文亀本)」か「貞享曼荼羅(以降貞享本)」がご本尊として厨子に安置されています。筆者が拝観したときは文亀本がお祀りされており、金網越しではありますがよく拝観することができました。
當麻曼荼羅には阿弥陀如来と脇侍の観音菩薩と勢至菩薩を中心に、多くの仏菩薩や天人、楼閣・宝樹・宝池などの極楽浄土の光景が描かれ、周縁部には「観無量寿経」に説かれる釈迦の説話や仏の観想法(仏の姿や浄土の光景を思い描く瞑想法)などが表現されています(當麻曼荼羅の姿はこちら)。文亀本は多少色褪せてはいますが、彩色は明瞭に残ります。
当初の厨子は柱間に壁や扉を設けない吹き放しの構造でしたが、鎌倉時代に実施された大改修で側壁と扉と側壁が取り付けられました。現在扉部分は取り外されて奈良国立博物館に寄託されています。また、厨子の背面にはかつて原本が貼り付けられていた板が納められており、板には完全に剝がれなかった仏などが残っています。
本堂にはご紹介した當麻曼荼羅のほかにも、下記のような文化財が安置されていますので、お詣りの際にはぜひじっくりとご覧ください。
- 十一面観音立像
木造(檜)彩色、一木造、像高171.5cm、弘仁時代、重要文化財
織姫観音とも呼ばれ、中将姫を手伝って綴織曼荼羅を折ったとされます - 来迎阿弥陀如来立像
木造漆箔、像高約2m、鎌倉時代、県指定文化財
聖衆来迎練供養会式のご本尊 - 中将姫坐像
木造(檜)彩色、寄木造、像高73.3cm、宿院仏師源三郎作、元禄元(1558)年 - 役行者椅像 附前鬼・後鬼像
木造素地(役行者像)、一木造、像高約100cm、室町時代
木造彩色(前鬼・後鬼)、一木造、像高約40cm、室町時代
日本最古の塑像と異国風の四天王
平重衡の南都焼き討ちによって焼失し、寿永三(1184)年に再建された金堂は、桁行五間・梁間四間、本瓦葺、入母屋造の建物です。
金堂が境内の中心に背を向けて南向きに立っているのは、創建当時は金堂を中心とした南向きの伽藍配置であった名残です。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は二手先、中備えとして間斗束があらわれ、軒支輪(組物の背部の弧状部分)が目を引きます。
堂内は土間となっており、堂内中央の盛り上げられた壇上に弥勒菩薩がお祀りされ、その周囲に四天王が、弥勒菩薩の前方に不動明王が安置されています。
- 弥勒菩薩坐像
塑造、像高219.7cm、天武天皇十(681)年、国宝
弥勒菩薩は塑像ですが、塑土に直接着色するのではなく、塑土の上に布を張って漆と金箔で仕上げている点が特徴的です。右手は施無畏印、左手は与願印を結び、四角い裳懸座に結跏趺坐します。螺髪の大部分を欠失し、両手の一部などは後補ですが、造立から既に1300年以上が経過していることを考慮すると良好な状態といえるでしょう。
- 持国天立像・増長天立像・広目天立像
脱活乾漆造、像高217~221cm、白鳳時代、重要文化財 - 多聞天立像
木造彩色、像高217.6cm、鎌倉時代、重要文化財
現存する四天王像としては法隆寺金堂像に次いで古く、白鳳時代に造立された三軀は下半身の大部分が乾漆や木で補修されており、多聞天は鎌倉時代の補作です。寺伝によれば百済より献納されたと伝わり、豊かな顎髭を蓄えたエキゾチックな風貌を表し、大陸風の衣装を身に纏います。
- 不動明王立像
木造(楠)彩色、一木造、像高約170cm、藤原時代
金堂の正面には日本最古とされる松香石で作られた石灯籠と役行者が腰かけた伝わる影向石が鎮座します。
様々な仏像がお祀りされる講堂
桁行七間・梁間四間、本瓦葺、寄棟造の講堂は、金堂から少し遅れた乾元二(1303)年に再建されました。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は出三斗と平三斗、中備えとして間斗束があしらわれています。
かつて講堂に安置されていた仏像は当初の講堂とともに焼失したため、現在は諸堂や僧房から集められた仏像がお祀りされています。
- 妙幢菩薩立像
木造(欅)彩色、一木造、像高147.5cm、弘仁時代、重要文化財
講堂内最古の仏像は妙幢菩薩であり、「妙幢菩薩」とは地蔵菩薩の異名の一つです。腰を僅かに左に捻り、左手は胸の前で思惟手に近い印相を結び、右手は掌を開いて下垂します。しっかりと造られた存在感のある頭部と腫れぼったい瞼が特徴的で、どっしりとした安定感のある像容を表します。
講堂にはご紹介した妙幢菩薩のほかにも、下記のような仏像が安置されていますので、お詣りの際にはぜひじっくりとご覧ください。
- 講堂ご本尊阿弥陀如来坐像
木造(檜)漆箔、寄木造、像高227cm、藤原時代 - 阿弥陀如来坐像
木造(檜)漆箔、寄木造、像高約70cm、藤原時代 - 地蔵菩薩立像
木造彩色、割矧造、像高約240cm、藤原時代
(以上重要文化財) - 千手観音立像
木造彩色、像高約130cm、鎌倉時代 - 多聞天立像
木造彩色、像高約150cm、藤原時代 - 不動明王立像
木造彩色、像高約150cm、藤原時代
東塔と西塔
奈良国立博物館において2022年夏季に開催された特別展「中将姫と當麻曼荼羅」の会期中の土日祝のみ、東塔と西塔の初層特別開扉が実施されていました。そのときの写真を交えつつ、2つの塔を簡単に比較してみます。
東塔は天平時代末期に建立され、高さは24.39mです。東塔の特徴としては、初層のみが三間で、二層目と三層目は中央の板戸が省略された二間になっており、逓減率が大きい点が挙げられます。
三層目が二間になっている例としては法起寺三重塔が挙げられますが、二層目と三層目がともに二間となっている三重塔は當麻寺の東塔だけです。
塔は基壇上に立ち、初層は縁を設けず中央間を板戸、両脇間を連子窓とします。内部には東西に金剛界の大日如来像がお祀りされています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は尾垂木三手先です。
二層目と三層目には高欄附きの廻り縁が配され、初層と同様に組物は三手先ですが、中央の組物には尾垂木がありません。また、相輪の九輪(塔の頂上部の輪装飾)が八輪しかないことや、水煙(九輪の上部にある飾り)が魚骨形であることも他では見られない特徴と言えるでしょう。
西塔は平安時代前期に初層、少し遅れて平安時代後期に二層目と三層目が建立されました。西塔は三層とも三間となっており、高さは東塔よりも僅かに大きい25.21mです。
東塔と同様に相輪の九輪は八輪しかなく、水煙は蔓唐草に未敷蓮華を火焔上に配したものとなっています。
塔は基壇上に立ち、初層は縁を設けず中央間を板戸、両脇間を塗壁とします。内部には胎蔵界の大日如来と僧形八幡神、そして阿弥陀如来が二軀お祀りされています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は尾垂木三手先、そして初層のみ中備えとして間斗束があしらわわれています。
西塔のすぐそばにひっそりと佇む宝篋印塔は、紀州徳川家第八代藩主徳川重倫の側室であったお八百の方のお墓です。
次の記事では拝観可能な四ヶ院の塔頭について詳しくご紹介します。
本記事では、四ヶ院の塔頭について詳しくご紹介します!前回までの記事はこちら。[sitecard subtitle=前回の記事 url=https://www.masktomoe23.com/taimade[…]
参考
中之坊発行のパンフレット・冊子
奈良国立博物館. 2022.『特別展 中将姫と當麻曼荼羅 展覧会図録』奈良国立博物館
東京国立博物館. 2024. 『特別展 法然と極楽浄土 展覧会図録』東京国立博物館
當麻寺中之坊ホームページ 最終アクセス2024年6月9日
當麻寺護念院ホームページ 最終アクセス2024年6月9日
當麻寺西南院ホームページ 最終アクセス2024年6月9日
當麻寺奥院ホームページ 最終アクセス2024年6月9日
葛城市ホームページ 最終アクセス2024年6月2日