兵庫県丹波市、柏原町の山間に佇む三寶寺。
本堂前に立つ通称「大もみじ」をはじめとするたくさんの紅葉が境内を彩ります。
三寶寺はこんなところ
寺伝によると、臨済宗妙心寺派の僧である大宗守順によって文明四(1472)年に創建されたと伝わります。創建後は隆盛を見せたようですが、天正七(1579)年に近隣に位置する高見城を攻めた明智光秀軍の兵火によって伽藍は悉く焼失しました。
その後、再建されたものの慶長十一(1606)年の失火により再び本堂と庫裏を焼失、同十三年に再建されました。天保四(1833)年には老朽化した本堂が改修され、その完成を記念して宮大工棟梁の中井権次正貞によって玄関の欄干に龍の彫刻が施されました。
三寶寺は柏原藩の城下町として栄えた市南部の柏原地区の東部に所在します。丹波もみじめぐりの第十番に定めらるなど紅葉の名所であり、こじんまりとした静かなお寺ですが、紅葉が見頃を迎える11月にはたくさんの参拝客で賑わいます。
ご本尊の十一面観音は50年に一度開帳される秘仏ですが、2022年11月に開山550年を記念して一般公開されました。本記事では当時の写真を交えながら、三寶寺をご紹介します。
境内を散策する
境内を彩る散り紅葉
筆者がお詣りしたのは11月下旬。紅葉はほとんど散った後でしたが、落葉後の天気に恵まれたこともあり、参道や境内では散紅葉を楽しむことができました。
門前にも楓の木が立ち並んでおり、見頃の時期にお詣りすると紅葉と松の木、白壁が調和した景観が見られそうです。
お寺の入口となる表門は簡素ながらも趣がある佇まいです。
庫裏と一体化した本堂は内部がいくつかの小部屋に分かれており、中央の部屋にご本尊の十一面観音がお祀りされています。
境内は大変綺麗に整えられており、日頃からご住職や地域の方によって大切に管理されていることが伺えました。
門の右手に立つ鐘楼は明治三十二(1899)年に建立されました。梵鐘は戦時に供出されて一度は失われてしまいましたが、平和を祈念し、戦没者を慰霊するために昭和五十(1975)年に再鋳されました。
本堂の前に立つひと際大きい紅葉は「大もみじ」と呼称され、赤い絨毯のような散紅葉が見事でした。
ご本尊の来歴に想いを馳せる
- 十一面観音立像
木造黒漆塗、寄木造、像高109.2cm、平安時代後期、市指定文化財
ご本尊の十一面観音は50年に一度開扉される秘仏であり、本堂内の厨子にお祀りされています。
その特徴から平安時代後期の造立であると考えられていますが、明智光秀の丹波攻めや江戸時代の失火により多くの書物が失われたため、室町時代創建の三寶寺に平安時代作のご本尊が伝わるその理由はつまびらかではありません。案内役の地域の方のお話しによると、付近に存在した他の寺院や観音堂から移坐された、あるいは創建時期が応仁の乱の最中であることを考慮すると、開山の大宗守順によって京都の戦乱を避けるべく仏像が招聘されたといったことも考えられるようです。
光背や台座、瓔珞、水瓶などは江戸時代の後補であり、補修部分注目すべき点は手の形です。右腕の材質が異なることから、造立時には右手は与願印を結んでいたと想定されていますが、現在は右手に錫杖を持つ形に改変されています。また、裙が短く足首を見せる表現は白鳳時代の仏像に見られる特徴です。
(以上 大阪大学大学院人文科学研究科 藤原穣教授の解説資料より)
奥座敷からは本堂裏手の枯山水庭園を鑑賞することができ、室内に置かれた机にはその様子が映り込みます。
杉林を借景とした紅葉が彩る庭園はコンパクトながら見事な出来栄えであり、お座敷に座って庭園を眺ていると、ついつい長居してしまいそうです。
まとめ
紅葉と枯山水の庭園が美しく、紅葉が見頃を迎える11月には多くの参拝客で賑わう三寶寺。ご住職や案内役の地元の方のお話からはお寺を大切に思われていることが感じられ、温かい気持ちでお詣りすることができました。
付近にはバス停がなく、最寄り駅である「柏原駅」からは徒歩50分ほどかかるため、タクシーか自家用車でのお詣りがおすすめです。門前には計40台ほど駐車可能な駐車場が用意されています。
基本情報
- 正式名称
本光山三寶寺 - 所在地
兵庫県丹波市柏原町大新屋571 - 宗派
臨済宗妙心寺派 - 指定文化財
市指定文化財(木造十一面観音菩薩立像) - アクセス
JR福知山線「柏原駅」より4km/徒歩約50分 - 駐車場
境内前にあり/約40台/無料 - 拝観時間
9:00-16:00 - 拝観料
300円 - 御朱印
可/本堂にて - 所要時間
約20分
参考
お寺発行の栞