兵庫県神戸市、六甲山北側の田園地帯に位置する六條八幡宮。
のどかな田園地帯に素朴で力強く、そして美しい三重塔がひっそりと佇みます。
六条八幡宮はこんなところ
『摂州丹生山田六條八幡之縁起』によると、当地は神功皇后(第14代天皇仲哀天皇の皇后)が三韓(新羅)征伐に向かう途上に営んだ行宮跡と伝わります。その後、基燈法師が行宮跡を神功皇后の御子応神天皇が修営された霊地であることを霊告によって感じ、長徳元(995)年に若宮八幡宮を建立しました。
保安四(1123)年には丹生山田荘の領主であった源為義が京都の自邸に祀る左女牛八幡大神を勧請合祀のうえ八幡宮を再興しました。そして、為義の自邸が六條醒ヶ井にあったころから、当社は六条八幡宮と呼ばれることになりました。
(六條八幡宮のホームページと現地案内板より)
六條八幡宮が位置する、六甲山北側の箕谷駅からつくはら湖にかけて東西に延びる細長い谷にはのどかな田園地帯が広がり、「山田の里」と呼ばれます。境内には社殿とともに、明治の廃仏毀釈によって廃寺となってしまった神宮寺「円融寺」の遺構である三重塔と薬師堂が残ります。
現在は地域の総鎮守として、また厄除けの神として崇敬を集め、毎年10月の第二日曜日に催される市内で唯一の流鏑馬神事には多くの参拝客が訪れます。
境内を散策する
田園風景と六条八幡宮
六条八幡宮は周囲の風景によく溶け込んでいるため、遠目に眺めると三重塔の存在に気が付きません。
流鏑馬が催されることもあり、境内へ続く参道は幅広で立派なものです。
広々とした境内の中心に本殿と拝殿が鎮座し、そしてその背後には木立に溶け込むように三重塔が佇みます。
明治期に神仏分離が進められたため神社に立つ塔は珍しく、とりわけ重要文化財に指定されている三重塔を有する神社は全国でも16社しか存在しません。
本殿は貞享五(1688)年に建立され、御祭神として応神天皇がお祀りされています。
立派な鯱を戴く薬師堂はかつて存在した円融寺の遺構です。
その名の通り堂内には薬師如来がお祀りされているのかな?と思い中を覗いてみましたが、残念ながら薬師如来などの仏像は安置されていませんでした。
薬師堂の左手にある小さな井戸は神功皇后に所縁があると伝わります。
素朴で力強く、美しい三重塔
三重塔は、残された棟札から神社の世話役であり、この地の有力者であった鷲尾綱貞によって文正元(1466)年三月に建立されたことがわかっています。
ちなみに神戸市内には室町時代に建立された三重塔が三基も現存しており、六條八幡宮の三重塔は如意寺(同市西区)と石峯寺(同市北区)の三重塔とともに重要文化財に指定されています。
現在は素朴な色合いの三重塔ですが、組物のところどころに残る朱の彩色から創建当時は朱塗りであったことが窺えます。
写真でお伝えできないのが残念ですが、お詣りされた際には組物の彩色にも注目してみてください。
軒先が反りあがった檜皮葺の屋根が力強さと武骨さを感じさせます。
反りあがった軒先や上層に向けて軒の出幅や塔身が小さくなる造りは室町時代の塔建築の特徴です。
三層とも三間となっており、初層は中央間を板唐戸、両脇を連子窓とし、内部には来迎柱と来迎壁、須弥壇が設けられています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は尾垂木三手先です。
三間すべてに撥束があしらわれた初層に対して、二層目と三層目は中央間にのみ撥束があしらわれています。
全体的に素朴で力強い印象の三重塔ですが、二層目と三層目に配された細縁高欄(手すり)や軒先などの意匠からは流麗な優美さも感じれらます。
まとめ
円融寺は廃寺となってしまいましたが、社殿と三重塔が今に伝わる六條八幡神社。境内には樹齢500年にもなる銀杏の巨木があり、見頃を迎える11月以降には銀杏が彩る見事な景観を楽しめそうです。
公共交通機関でお越しの場合は、「箕谷駅」から市バス「衝原」行きで「山田小学校前」下車、徒歩5分ほどです。周辺の道路は見通しはいいものの道幅が狭いため、お車でお越しの場合は充分ご注意ください。
近くには重要文化財に指定されている仏像が五軀もお祀りされている無動寺がありますので、そちらも併せてお詣りしてみてはいかがでしょうか。
基本情報
- 正式名称
六條八幡宮 - 所在地
神戸市北区山田町中字宮ノ片57 - 指定文化財
重要文化財(三重塔)
神戸市指定有形文化財(本殿・舞台)
神戸市指定登録文化財(流鏑馬神事) - アクセス
神戸電鉄有馬線「箕谷駅」から市バス111系統「衝原」行きで「山田小学校前」下車、徒歩約5分 - 駐車場
境内前にあり - 拝観時間
境内自由 - 御朱印
可/社務所にて - 所要時間
約15分
参考
六條八幡宮ホームページ 最終アクセス2024年5月11日