兵庫県三木市、市内最東端の田園地帯に佇む東光寺。
本堂は室町時代中期の折衷様を伝える貴重な建築として重要文化財に指定されています。
伽耶院はこんなところ
寺伝によると、行基によって神亀年間(724年~728年)に創建されたと伝わります。
宝暦三(1753)年の東光寺古図には現存する本堂や多宝塔にくわえて経蔵屋敷、仁王門屋敷、中門屋敷が描かれており、ほかにも塔頭寺院二十八坊があったとされています。しかし、天正の兵乱(1573年~)など複数回の戦乱の中でその多くを失い、現在は本堂や多宝塔、地蔵院坊などを僅かに残すばかりです。
東光寺は三田市との市境にほど近い三木市吉川町に所在します。このあたりは酒米として有名な「山田錦」の産地であり、酒米産地と蔵元との間で結ばれる村米制度発祥の地といわれます。
明るく開かれた境内には室町時代に建立された本堂や多宝塔が立ち、ご本尊として子易地蔵菩薩がお祀りされています。
境内を散策する
折衷様をあらわす本堂
東光寺には門がなく、こちらの石柱が境内の入口となります。
「姑射山」とは東光寺の山号ですが、現在は「小屋山」と記すのが一般的なようです。
境内の中心に本堂が西面して立ち、その前面に鐘楼や阿弥陀堂、背後の高台に多宝塔を配します。
境内の入口には華頭窓が印象的な異国風の鐘楼が立ち、参拝客を出迎えます。
慶長五(1600)年に鋳造された銅鐘は当時の姫路野里の鋳物師の特徴が見られ、平末次という記銘が発見されています。
本堂は和様を基調としつつも、桟唐戸や中備えの双斗肘木と蛙股、木鼻など要所に唐様の要素を取り入れた折衷様のお堂となっています。
造立年代は明らかではありませんが、建築様式から室町時代中期の建立と見られます。
方五間、本瓦葺、寄棟造のお堂であり、前面は中央三間を桟唐戸、その両脇二間を連子窓とし、両側面は前方から一間目を連子窓、二間目を桟唐戸、三間目と四間目を板壁、五間目を塗壁とします。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は出三斗、中備えとして双斗肘木と蛙股を組み合わせた装飾が施されています。
堂内は前方二間が外陣、後方三間が内陣で両陣が格子戸と菱格子欄間で区切られる密教式であり、宮殿内には秘仏ご本尊の地蔵菩薩が安置されています。
ご本尊は後向地蔵とも呼ばれ、これはその御威光があまりに強すぎるために仏罰を恐れた村の人々によって後ろ向きに安置されたという伝承に由来します。
鮮やかな朱色が目を引く多宝塔
多宝塔は本堂背後の高台に立ちますが、葉が茂った夏場だと思わず見過ごしてしまいそうです。
様式手法より本堂と同様に室町時代中期の建立と見られます。
方三間の初層は中央間を桟唐戸、両脇を連子窓とし、廻り縁を配します。内部は前方正面に来迎壁を設け、須弥壇上に五智如来がお祀りされています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は三斗出組、各間に中備えとして蓑束があしらわれています。
複数の柱が複雑に組み合わせられた二層目は四方に扉が設けられ、大正初期の大修理により屋根は鉄板で仮葺きされています。
また、初層との間に設けられた亀腹には瓦が組み込まれる珍しい造りとなっています。
多宝塔は大修理の際に一部新材を用いて修復されましたが、相輪や軸部、初層の須弥壇などは創建当初のまま残されています。
まとめ
それぞれ珍しい意匠が見られる本堂と多宝塔を有する東光寺。東光寺は観光寺院ではありませんが、お寺の方も親切であり、気持ちよくお詣りすることができます。
公共交通機関でお越しの場合は、「新三田駅」から神姫バス「渡瀬」行きで「福吉」下車、徒歩10分ほどです。ただし、バスは平日5本、土休日2本と運行本数が少ないため、お車でのお詣りをおすすめします。
基本情報
- 正式名称
小屋山東光寺 - 所在地
兵庫県三木市吉川町福吉261 - 宗派
真言宗 - 指定文化財
重要文化財(本堂)
県指定文化財(多宝塔)
市指定文化財(銅鐘) - アクセス
JR宝塚線「新三田駅」から神姫バス「渡瀬」行きで「福吉」下車、徒歩約10分 - 駐車場
境内の前にあり/約15台/無料 - 拝観時間
境内自由 - 拝観料
無料 - 御朱印
可/庫裏にて - 所要時間
約20分
参考
お寺発行の栞
三木市ホームページ 最終アクセス2024年12月29日