【金蔵寺(兵庫県多可町)】全国的に珍しい脱活乾漆像がお祀りされる山岳寺院

兵庫県多可町 金蔵寺
兵庫県多可町 金蔵寺
兵庫県多可町 金蔵寺

兵庫県多可町、町の中心部を見下ろす標高約400mの山上に位置するこんぞう

山深く、そして当時の都である平城京から遠く離れた地にあるお寺ですが、全国で30例ほどしか確認されていない天平時代作の脱活乾漆像がお祀りされています。

金蔵寺はこんなところ

寺伝によると、一寸八尺の黄金の薬師如来と熊野権現が西方数キロに位置する笠形山に湧出した後に当山に移られ、それを感徳した役行者による開基とされています。天平二(730)年には、行基が仏殿を建立するとともに、自ら刻んだ等身大の仏像の胸に黄金仏を安置して本尊としました。

その後、平安時代には慈覚大師が、正徳二(1712)年には宥尊上人がそれぞれ再興します。天保十三(1842)年には本堂を焼失してしまいますが、同年には現在のご本尊である薬師如来はじめとする仏像を神呪寺(兵庫県西宮市)か摂津国分寺(大阪市天王寺区)より譲り受けました。安政二(1855)年には経勝上人によって本堂が再建され、現在に至ります。
(現地案内板より)

縁起の真偽は不明ですが、庫裡を改築際に実施された発掘調査では、安土桃山時代~江戸時代初期の石垣などの遺構群と共に14世紀後半のものと思われる土器などが出土しており、少なくとも室町時代までは遡ることが確認されています。くわえて、多可町周辺の山岳寺院は平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて盛んに作られたことがわかっており、金蔵寺もその立地環境を考慮すると同時期まで遡る山岳修験の寺であった可能性も充分考えられます。

兵庫県多可町 金蔵寺
享保十(1725)年の銘がある宝篋印塔

金蔵寺が所在する多可町は姫路市街地の北方40kmほどのところに位置し、手漉き和紙の杉原紙の発祥地として知られます。標高約400mの山上に築かれた境内には本堂や庫裡が立ち、本堂から200mほど山道を進んだところには護摩場があります。

ご本尊は33年に一度開帳される薬師如来ですが、2020年10月に新しいご住職の晋山式を記念して特別に開帳されました。

境内を散策する

山深くに佇む山岳寺院

兵庫県多可町 金蔵寺

車両のすれ違いが困難な細い急坂を登ると最初に庫裡が見えてきます。

ここより山道を数百メートル手前に戻ったところに駐車場が設けられていますが、庫裡の前にも車を数台停車できるようになっています。

兵庫県多可町 金蔵寺

境内の主要地は上下二段に分かれており、庫裡から石段を登ったところに本堂や鐘楼が立っています。

兵庫県多可町 金蔵寺

本堂のある段からさらに階段を上ると、金蔵寺が多可十景に選定された記念として建てられた八角堂と

兵庫県多可町 金蔵寺

縁起にも登場した熊野権現をお祀りする熊野権現堂があります。

兵庫県多可町 金蔵寺
籠り堂
兵庫県多可町 金蔵寺
弁財天堂

本堂の周囲には、籠り堂や鐘楼、弁天堂、護摩堂などいくつかのお堂が立ちます。

秘仏本尊薬師如来と脱活乾漆造の阿弥陀如来

本堂には多くの宝物が安置されていますが、ここではその一部を紹介します。

兵庫県多可町 金蔵寺

現在の本堂は経勝上人によって安政二(1855)年に再建されたものです。

兵庫県多可町 金蔵寺

本堂は桁行七間・梁間五間、銅板葺寄棟造の建物で、山中に立つ素朴で力強い佇まいは筆者好みの情景です。

兵庫県多可町 金蔵寺

ご本尊は秘仏のため拝することは叶いませんが、普段からお堂の扉は開いていますので堂内に入ってお詣りできるようになっています。

兵庫県多可町 金蔵寺

前方二間の外陣と後方三間の内陣が格子戸で区切られた密教式の本堂で、内陣は庇によって三つに区切られています。中央の空間の厨子内に秘仏本尊薬師如来、その両脇に十二神将がお祀りされ、左右の脇陣にも諸仏が安置されています。

  • 薬師如来坐像
    木造彩色・玉眼、寄木造、像高87.2cm、室町時代
  • 阿弥陀如来坐像
    像高85.3cm、県指定文化財
    (頭部)脱活乾漆造、頂~顎28.0cm、奈良時代
    (胴体部)木造漆箔、寄木造、江戸時代
  • 十二神将立像
    木造彩色、江戸時代

ご本尊の薬師如来は左手にやっを持ち、右手はいんを結び、折り重なった左胸付近の衣の表現が特徴的です。33年に一度公開される秘仏ですが、2020年10月には新しいご住職の晋山式を記念して特別に開帳されました。晋山式での開帳を除けば前回の開帳は平成五年に実施され、2026年が前回開帳の33年後にあたります。

兵庫県多可町 金蔵寺
右脇陣
兵庫県多可町 金蔵寺
左脇陣
  • 阿弥陀如来坐像
    像高85.3cm、県指定文化財
    (頭部)脱活乾漆造、頂~顎28.0cm、奈良時代
    (胴体部)木造漆箔、寄木造、江戸時代

脱活乾漆造の阿弥陀如来は定印を結びますが、首から下は江戸時代の後補のため当初の像容は不明です。胴体と比較して頭部が小さく、元来はもう一回り小さい像だったと推察されます。大らかで優しさを感じる表情、豊かに張った頬、眉から鼻にかけての明瞭な造形などは天平期の特徴をよく表します。

脱活乾漆造の仏像は制作に非常に手間とコストがかかることもあり、天平時代に設けられた官営造仏所である「造東大寺司」などのごく限られた場所でのみ造立されました。そのため現存例も非常に少なく、奈良周辺を除けば(岐阜県岐阜市)、がんごう(香川県さぬき市)などに僅かに残るばかりです。当然、金蔵寺の阿弥陀如来も奈良周辺で造立されたと考えられますが、その来歴はどういったものなのでしょうか、少し辿ってみたいと思います。

兵庫県立歴史博物館が実施した総合調査によって阿弥陀如来の頭部が脱活乾漆造であると確認されたのは昭和五十九(1984)年のことでした。その後、お寺に伝わる寄付状から本像は神呪寺か摂津国分寺よりもたらされたことが判明しました。寄付状には、神呪寺と摂津国分寺の兼住であったゆうこうが、金蔵寺のきょうゆうへご本尊の薬師如来や阿弥陀如来をはじめとする七軀の仏像を寄付した旨が記されています。

さらに驚くべきことに、平成十(1998)年には本像とかつて一具をなしていたと見られる脱乾漆像の菩薩像が発見されたのです。菩薩像は遠く離れた横浜の龍華寺の土蔵の中からバラバラに破損した姿で発見されました。その後の調査によって、両像の造形の類似点から金蔵寺像と龍華寺像は元来一具であり、金蔵寺像が中尊、龍華寺像が脇侍であった可能性が極めて高いことが判明しました。

2020年に大阪市立美術館で開催された「天平礼賛展」では、長い時を経て二軀の仏像が再会を果たして、並んで展示されました。

兵庫県多可町 金蔵寺
川中島合戦図
兵庫県多可町 金蔵寺
錣引図

また、格子戸の上部には見事な絵馬が掛けられています。

まとめ

山中にひっそりと佇み、アクセスも決してよいとはいえない金蔵寺ですが、その分山岳寺院の雰囲気やこの地に似つかわしくない都風の脱乾漆像などほかの寺院にはない魅力があります。近年脱乾漆造の阿弥陀如来は展覧会に出展されることも珍しくなく、その姿をご覧になった方も少なくないかと思いますが、一度現地を訪れてそのルーツに想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

公共交通機関でお越しの場合は、「西脇市駅」から神姫バス「大屋」行きで終点「大屋」下車、徒歩40分ほどです。バス停から遠く、バスの本数も少ないため自家用車でのアクセスをおすすめしますが、お寺までの山道はすれ違いが困難な急坂ですので充分ご注意のうえお詣りください。

兵庫県多可町 金蔵寺
花まつりのために飾り付けられた手水鉢

基本情報

  • 正式名称
    かなくら山金蔵寺
  • 所在地
     兵庫県多可郡多可町加美区的場853
  • 宗派
    高野山真言宗
  • アクセス
    1. JR加古川線「西脇市駅」から神姫バス「大屋」行で終点「大屋」下車、徒歩約40分
    2. 「西脇市駅」から神姫バス「鳥羽上」または「山寄上」行で「月ケ花」下車、徒歩約45分
  • 駐車場
    2ヶ所計約20台/無料
  • 拝観時間
    境内自由
  • 拝観料
    無料
  • 御朱印
    可/庫裡にて
  • 所要時間
    約30分
兵庫県多可町 金蔵寺
登り口
兵庫県多可町 金蔵寺
お寺までは細い急坂が続きます
兵庫県多可町 金蔵寺 駐車場
駐車場

参考
動画 「多可の里風土記 金蔵山金蔵寺」
兵庫県立歴史博物館. 1991. 『特別展 ふるさとのみほとけ ー 播磨の仏像  展覧会図録』 兵庫県立歴史博物館
神戸佳文. 2023.『ひょうごの仏像探訪』 神戸新聞総合出版センター