


神奈川県横須賀市、三浦半島の西海岸に位置する浄楽寺。
収蔵庫には運慶の手による阿弥陀三尊像と不動明王・毘沙門天が安置されています。
浄楽寺はこんなところ
寺伝によると、源頼朝が父義朝の菩提を弔うため文治五(1189)年に創建した勝長寿院を、建永元(1206)年の台風による被害を機に和田義盛と北条政子が現在地へ移したと伝わります。こうした伝承が「金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺」という寺号の由来となっているのでしょう。
一方で、和田義盛が建立した七阿弥陀堂の内の一つという説もあり、また不動明王・毘沙門天の胎内より発見された月輪形木札からは仏像の発願主が義盛とその妻小野氏であることが明らかとなっているため、勝長寿院から仏像が移坐されたという説は否定されつつあります。
また、光明寺(神奈川県鎌倉市)の資料には寂慧良暁上人が建治元(1275)年に中興した旨が記されていますが、それ以前の歴史は明らかになっていないようです。
(浄楽寺のホームページより)
和田義盛:頼朝の挙兵に応じた功により治承四(1180)年には侍所別当に任ぜられ、平家追討や奥州征伐でも功を立てた有力な御家人の一人でした。しかし、北条氏との対立がきっかけとなって生じた建暦三(1213)年の和田合戦において和田一族は滅亡しました。

浄楽寺は三浦半島の西海岸に所在し、この辺りからは相模湾越しに富士山がよく望めます。浄楽寺は三浦一族の族長であった和田義盛により、富士山浄土信仰に基づき三浦半島内で当地が選定されて建立されたと考えられています。
現在は収蔵庫が改修中のため仏像の拝観ができませんが、拝観再開の折には常時拝観可能となるようです。従来は年二回の公開日を除くと事前予約が必要だったため少し敷居が高かったのですが、気軽にお詣りできるようになりそうです。
運慶作の阿弥陀三尊像と不動明王・毘沙門天

お寺は横須賀市街地と湘南エリアを三浦半島の海岸線に沿って結ぶ国道134号に面し、参道入口にはバス停が設けられています。
毎週土日には門前で朝市が開催されており、お詣りの際には覗いてみてもよいかもしれません。

境内の中心には本堂が西面して立ち、その左手に庫裏、背後の高台に収蔵庫が鎮座します。

江戸時代に改修された本堂は葺かれた瓦の色がところどころ異なる点が印象的ですが、改修前の瓦を再利用したのでしょうか。

運慶作の五軀の仏像は本堂の裏手にある収蔵庫に安置されています。

- 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像
木造漆箔・金泥、寄木造、像高141.8cm(阿弥陀)・178.8cm(観音)・177.1cm(勢至)、文治五(1189)年、重要文化財
早くから鎌倉時代の阿弥陀三尊像として注目されて旧国宝に指定されていたものの、当初は運慶による真作とは考えられておらず、近世の伝承とされていました。というのも、胎内から見出された月輪形銘札の柄裏面部分に記された「文治五<己酉>天三月廿日 匂当運慶」という墨書は、何らかの理由で柄の表面を削り取って近世に書き直されていたからです。
その後、脇侍の毘沙門天の胎内からも月輪形銘札が発見され、そこには当初の墨書で運慶が制作した旨が記されていたことから三尊像も運慶作であることが確定しました。
(以上 『運慶と鎌倉』 より)

特に中尊の阿弥陀如来は同じ運慶作、東国武士の依頼により手掛けられたという共通点から、願成就院(静岡県伊豆の国市)のご本尊である阿弥陀如来とたびたび比較されます。しかし、浄楽寺像が来迎印を結ぶ一方で願成就院像は転法輪印を結び、願成就院像と比較すると浄楽寺像はより丸みがあり、柔らかく仕上げられた点など両者には差異も少なくありません。
両像の差異についてはこれまでもたびたび議論されてきましたが、その理由の一つとして願成就院像にはモデルとなる仏像が存在したと想定され、その像というのは延暦十(791)年に造立された、今はなき興福寺講堂の阿弥陀如来だと考えられています。願成就院像の施主である北条氏には興福寺の有力僧に縁者のあったことが指摘されており、また興福寺の僧であった運慶が興福寺講堂像をよく拝していた可能性が充分にあることもまたこの説を補強します。
(以上『特別展 運慶 展覧会図録』より)

- 不動明王立像
木造彩色・玉眼、寄木造、像高135.5cm、文治五(1189)年 - 毘沙門天立像
木造彩色・玉眼、寄木造、像高140.5cm、文治五(1189)年
(ともに重要文化財)
不動明王と毘沙門天を脇侍としてお祀りする形式は平安時代中期の天台宗に端を発します。当初は観音像の脇侍として両像を安置していたものの、時代が下るにつれて宗派や形式を問わずに広く派生したのでしょう。
躍動感に満ちた相貌や量感豊かな堂々たる佇まい、細かく刻まれた自然な衣文は運慶の手になることを強く示唆する一方で、不動明王が羂索を持つ左手を提げ、毘沙門天が右手を挙げて戟を突くといった平安時代後期以降の姿勢を取るという保守的な面も見られます。

最後に五軀の仏像が運慶作であることを決定づけた月輪形銘札をご紹介します。
阿弥陀三尊像にもそれぞれ月輪形銘札が納入されていましたが、運慶と記されたその墨書は近世のものでした。ところが、毘沙門天の胎内からも月輪形銘札が発見され、そこには当初の墨書で、文治五(1189)年に和田義盛と夫人の小野氏が発願して、運慶が小仏師十人を率いて造立した旨が記されていたのです。

収蔵庫の奥は墓地となっており、そこには近代郵便制度を創設し、「郵便制度の父」とも称される前島密の墓石があります。これは前島密夫妻が晩年を浄楽寺境内の別邸「如々山荘」で過ごしたことに由来します。
まとめ
運慶作の阿弥陀三尊像とその脇侍である不動明王・毘沙門天が完存する浄楽寺。現在収蔵庫の改修工事中(2024年7月1日~2025年7月30日予定)のため阿弥陀三尊像をはじめとする仏像の拝観はできませんが、拝観再開後は常時拝観可能となるようですので、拝観をご希望される方は浄楽寺のホームページをこまめにチェックされることをおすすめします。
公共交通機関でお詣りされる場合は「逗子駅」または「逗子・葉山駅」から京急バス「横須賀市民病院」行き、または「長井」行きで「浄楽寺」下車、徒歩すぐです。

基本情報
- 正式名称
金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺 - 所在地
神奈川県横須賀市芦名2-30-5 - 宗派
浄土宗 - 指定文化財
重要文化財(木造阿弥陀如来及両脇侍立像、不動明王立像、毘沙門天立像) - アクセス
- JR横須賀線「逗子駅」から京急バス逗5「横須賀市民病院」行き、または逗6「長井」行きで「浄楽寺」下車、徒歩すぐ
- 京急逗子線「逗子・葉山駅」から京急バス逗5「横須賀市民病院」行き、または逗6「長井」行きで「浄楽寺」下車、徒歩すぐ
- 駐車場
境内前にあり/約10台/無料 - 拝観時間
わかり次第追記します - 拝観料
わかり次第追記します - 御朱印
可/庫裏にて - 所要時間
約20分

参考
東京国立博物館. 2017.『特別展 運慶 展覧会図録』東京国立博物館
横須賀美術館・神奈川県立金沢文庫. 2022. 『運慶 鎌倉幕府と三浦一族 』 吉川弘文館
神奈川県立金沢文庫・横須賀美術館. 2024. 『運慶と鎌倉』吉川弘文館
浄楽寺ホームページ 最終アクセス2025年4月20日