岐阜県大垣市、静かな住宅地に位置する慈応寺。
本堂には可憐なご本尊と霊威を発する薬師如来がお祀りされております。
慈応寺はこんなところ
寺伝によると、平安時代に慈覚大師円仁が自らご本尊の聖観世音菩薩を彫刻し、創建したと伝わります。天正年間(1573年~1592年)には兵火によって諸堂を焼失しますが、ご本尊の霊威を感じた寒松寺の住職堯雅法印によって元禄八(1695)年に再興され、以降は遮那院(大垣中町)の末寺となりました。
明治の神仏分離令によって明治三(1870)年に遮那院と大垣八幡神社の神宮寺であった光明寺が廃寺となると、両寺院の仏像や仏具が慈応寺へと移されました。
(お寺発行の栞より)
大垣市は岐阜県の西部、通称西濃地域に位置し、地下水が豊富で市内各所で澄んだ水が湧き出していることから「水の都」とも呼ばれます。慈応寺は大垣城や大垣八幡神社が所在する市の中心部からは少し離れた静かな住宅街に位置し、コンパクトな境内には本堂と庫裏が立ちます。
ご本尊の聖観音菩薩や本記事のタイトルにもなっている薬師如来は通常非公開ですが、薬師如来が県指定文化財となったことを記念して、2024年5月18日に一般公開が実施されました。当日は東海学園大学の教授である小野佳代氏(小野氏のXアカウント)による解説もあり、本記事はそのときの写真を交えながら慈応寺をご紹介します。
可愛らしいご本尊と霊威を発する薬師如来
慈応寺は東海道の宮宿と中山道の垂井宿とを結んだかつての美濃路に面して立ち、小さいながらも立派な表門が目印です。
境内はよく整備されており、明るく開放感があります。
本堂の内陣にはたくさんの仏像が安置されており、その多くは廃寺となった遮那院と光明院から移されたものです。
ご本尊の聖観音菩薩は十一世紀に造立されたと推定され、近いうちに詳しい調査が実施されるそうです。通常厨子の扉は閉じられていますが、この日は特別に開扉されており、そのお姿を拝することができました。
- 薬師如来坐像
木造(榧)古色、一木造、像高86.8cm、平安時代初期、県指定文化財
大垣八幡神社の神宮寺であった光明院の旧ご本尊であり、その作風から平安時代初期に造立されたと考えられています。榧の一材から彫り出された一木造の仏像で、内刳はなく、衲衣に施された翻波式衣文と左胸の渦文、右肩の茶杓文など随所に古様を表します。
平安古仏特有の分厚さと量感豊かな造形によって実際の大きさ以上の存在感を発し、写真では伝わらないかもしれませんが、実際に拝すると森厳な霊威が感じられます。薬師如来の背後には鏡が設置されており、背面の造形までよく見ることができました。
- 十一面観音立像
木造(檜)彩色、寄木造、像高約30cm、江戸時代初期、市指定文化財
右手は与願印を結び、左手に水瓶を持つ通形の十一面観音はもと遮那院のご本尊であり、小柄ながら精巧に彫り出された美しい仏像です。
外陣には書状や写真がいくつか掲げられており、そのうちの一つがこちらの「感謝状」です。これは前述の十一面観音を金華山の麓で開催された「躍進日本大博覧会」へ出展したことに対して謝意を表した書状です。
まとめ
可憐なご本尊と古様な薬師如来をはじめとする多くの仏像を有する慈応寺。ご紹介した仏像が安置されている本堂は通常非公開ですが、今後の公開予定がわかった場合は本記事でもご紹介します。
大垣駅から最寄りのバス停に停車するバスが概ね1時間に1本運行されており、名阪近鉄バス「十六町行き」または「稲葉団地行き」で「長松」下車、徒歩5分ほどです。門前には駐車場があるため、自家用車でのお詣りも可能です。
基本情報
- 正式名称
金梁山慈応寺 - 所在地
岐阜県大垣市長松町820 - 宗派
真言宗智山派 - 文化財指定
県指定文化財(木造薬師如来坐像)
市指定文化財(木造十一面観音菩薩立像) - アクセス
JR東海道線「大垣駅」から名阪近鉄バス荒崎線「十六町行き」または稲葉線「稲葉団地行き」で「長松」下車、徒歩約5分 - 駐車場
境内向かいにあり/約10台/無料 - 拝観時間
境内自由
※本堂拝観は特別公開時のみ - 拝観料
500円(高校生以下無料) - 御朱印
可/本堂にて(特別公開時のみ) - 所要時間
約10分