奈良県奈良市、東大寺転害門と西大寺を結ぶ「佐保路」に位置する不退寺。
在原業平ゆかりのお寺には、聖観音菩薩や五大明王をはじめとする仏像や珍しい単層の多宝塔が残されています。
不退寺はこんなところ
不退寺は仁明天皇の勅願により飛鳥時代に慧灌法師によって開かれ、その寺名は聖武天皇が平城京の鬼門を護るため『大般若経』を基壇に納め、卒塔婆を建立したことに由来します。平安時代には学僧が集う寺として栄えましたが、治承四(1280)年の平重衡による南都焼き討ちにより伽藍は灰燼に帰しました。
鎌倉時代に叡尊によって七堂伽藍が整備されるなど再興され、金堂には丈六の文殊菩薩がお祀りされました。その後は室町・戦国時代の兵火、江戸期の復興、明治の廃仏毀釈など目まぐるしく変化する時世を経て現在に至ります。
慧灌:飛鳥時代に高句麗王より来日した僧で、日本における三論宗の祖。
叡尊:真言律宗を興し、西大寺を再興した鎌倉時代の僧。
不退寺は東大寺転害門から平城宮跡を経由して西大寺へと連なる佐保路に位置し、静謐な境内には本堂と多宝塔が佇みます。本堂内には全国的にも現存例が非常に少ない五大明王がお祀りされるなど、こじんまりとしたお寺ではありますが貴重な文化財を数多く所蔵します。
在原業平の命日にあたる毎年5月8日の業平忌には本堂内に業平像を掲げてその遺徳を偲ぶとともに、真言八祖の絵が描かれた多宝塔が開扉されます。
境内を散策する
リボンを身につけた聖観音と五大明王
県道104号から細い参道を100mほど歩くと、立派な南門(重要文化財)に至ります。
こじんまりとした境内には本堂を中心として、多宝塔と庫裏が鎮座します。
本堂拝観の受付は庫裏にて対応いただけますので、お寺を訪れたらまずは庫裏へ向かいましょう。
庫裏の前にあるこちらの石造物はお寺の西方に位置する平塚古墳から発見された石棺です。長さ2.7mと中々の大きさであり、表面に残る凹凸は草刈を行う人が鎌を研いだ痕だそうです。
掠れた朱色が印象的な本堂(重要文化財)は南北朝時代から室町時代前期の建立とされ、桃山・江戸・昭和と三度の修理を経て現在に至ります。
本堂は桁行五間・梁間四間、本瓦葺、寄棟造の建物で、正面三間を桟唐戸、その両脇を連子窓とし、両側面は塗壁とします。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は出三斗、中備えとして間斗束があしらわれています。
柱間三間の身舎の四方に庇がついた「三間四面」と呼ばれる古代建築に用いられた形式と内陣と外陣を格子戸で区切る中世仏堂の特徴をあわせもつ堂内には、本尊聖観音菩薩や五大明王がお祀りされています。
- 聖観音菩薩
木造(広葉樹)彩色、一木造、像高191cm、平安時代、重要文化財
本尊の聖観音菩薩は寺伝によると在原業平の作とされ、全身に施された胡粉による白い彩色と頭部にあしらわれた存在感のあるリボン状の宝冠が目を引きます。宝冠や光背、両手足と台座は後補ですが、条帛や天衣を含めて一材から彫り出し、背中から内刳を施して蓋板をあてています。
ところで、不退寺の聖観音(以下不退寺像)にはかつて一具であったと見られる仏像が存在することをご存じでしょうか。
その仏像というのは不退寺のすぐ近くに位置する瑞慶寺に伝来し、セゾン現代美術館(長野県軽井沢町)の所有を経て、2009年に文化庁が買い上げた後に奈良国立博物館の所蔵となった観音菩薩(以下奈良博像)です。奈良博仏像館の第7室によく展示されているので、見たことがあるという方も少なくないかと思います。
不退寺像が左に、そして奈良博像が右に腰を捻ることから、両像は三尊像の両脇侍であったと考えられるにいたりました。
全身が白く彩色された不退寺像と表面が摩耗し、彩色がない奈良博像は似つかないように見えますが、細部を観察すると実は非常によく似た造りになっていることがわかります。髻の形状や耳のうえで渦巻く鬢髪、天冠台の意匠は瓜二つであり、脛部の意匠の抑揚も酷似しています。
不退寺像は2022年に彩色の剥落止めや矧目の修繕などの保存修理が実施され、修復完了後の2023年3月から5月にかけて奈良国立博物館にて両像が一対になって展示されるという機会がありました。
実際に筆者も両像を見比べ、「なるほど、細部までよく似ていてたしかに一具の仏像であったんだな」と実感できましたが、現在の尊容が大きく異なるため、不退寺と奈良博、別々に展示されていては両像が一具であったとは気づかなかったと思います。
- 降三世明王立像
木造(檜)彩色、寄木造、像高150cm、平安時代後期 - 不動明王坐像
木造(檜)彩色・玉眼、寄木造、像高85.7cm、鎌倉時代後期 - 金剛夜叉明王立像
木造(檜)彩色、寄木造、像高146cm、平安時代後期 - 軍荼利明王立像
木造(檜)彩色、寄木造、像高158cm、平安時代後期 - 大威徳明王坐像
木造(檜)彩色、寄木造、像高145cm、平安時代後期
(すべて重要文化財)
現存する彫像の五大明王は非常に珍しく、東寺講堂像(京都市)や瑞巌寺五大堂像(宮城県松島町)、明王院五大堂像(神奈川県鎌倉市)、桑戸不動堂像(山梨県笛吹市)など全国的にも数例しか知られていません。なかでも不退寺像は東寺像と並んで、常時拝観が可能な数少ない五大明王です。
不動明王は玉眼が嵌入された鎌倉時代の作ですが、ほかの四軀は平安時代後期の作と推定されており、不動明王のみ当初像が失われて現在の像が補われた可能性もありそうです。あまり動きをとらず、穏やかな像容を見せる四軀は平安時代後期以降の天部象の特徴をよく表す一方で、どっしりとした安定感のある不動明王は厳しい表情を示します。
初層のみが残った単層の多宝塔
不退寺には多宝塔が現存しますが、残っているのは初層のみ。幕末から大正時代の中頃まで完全な無住寺となってしまった不退寺は荒廃し、その時期に老朽化した多宝塔の上層が取り払われてしまったのです。
方三間の初層は中央間を板唐戸、両脇を連子窓とし、高欄のない廻り縁を配します。
多宝塔と地面との間に設けられた饅頭型の白い隆起は亀腹といい、水はけをよくし基礎を保護することを目的とした構造です。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は三斗出組、中備えとして中央間に彩色された蟇股があしらわれています。
仏像やお堂だけではなく、境内を彩る季節の花も不退寺の見どころであり、特に三月下旬に見頃を迎えるれんぎょうは一見の価値があります。
まとめ
小さなお寺ながら、女性的な尊容の聖観音や五大明王、珍しい単層の多宝塔が見られる不退寺。市内中心部からも足を運びやすく、静かにお詣りすることができる筆者もお気に入りのお寺です。
公共交通機関をご利用の場合は、近鉄奈良駅・JR奈良駅と大和西大寺を結ぶバスをご利用ください。また、駅から少し距離はありますが、新大宮駅から徒歩でお詣りいただくことも可能です。
佐保路には不退寺のほかにも、国宝十一面観音が有名な法華寺、天平時代に建立された五重小塔を所蔵する海龍王寺など魅力的なお寺が多く点在していますので、天気がよい日にハイキングを兼ねてお詣りされるのも非常にオススメです!
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基本情報
- 正式名称
金龍山不退寺 - 所在地
奈良県奈良市法蓮町517 - 宗派
真言律宗 - 文化財指定
重要文化財(本堂、南門、多宝塔、木造聖観音菩薩立像、木造五大明王像)
県指定文化財(木造阿保親王坐像) - アクセス
- 近鉄奈良線「新大宮駅」から1.1km/徒歩約15分
- 近鉄奈良線「近鉄奈良駅」、関西本線「奈良駅」から奈良交通14系統「大和西大寺駅行き」で「一条高校前(不退寺口)」下車、徒歩約5分
- 近鉄奈良線「大和西大寺駅」から奈良交通14系統「JR奈良駅西口行き」で「一条高校前」下車、徒歩約5分
- 駐車場
門前にあり/5台/無料 - 拝観時間
9時~17時 - 拝観料
大人 高校生・中学生 小学生 通常拝観 500円 300円 200円 特別展
(春季3/1~5/31、秋季10/1~11/30)600円 400円 300円 業平忌(5/28) 700円 500円 300円 ※団体(20名以上は50円引き)
- 御朱印
可/庫裏にて - 所要時間
20分
参考
お寺発行の栞
奈良国立博物館発行の調査資料
奈良国立博物館. 2022.『なら仏像館 名品図録』奈良国立博物館