奈良県奈良市、柳生街道沿いに佇む円成寺。
貴重な文化財を多数有しますが、中でも運慶青年期の作である大日如来が有名です。
円成寺はこんなところ
創建に関しては様々な説があり、聖武・孝謙両天皇の勅願により鑑真和上の弟子である虚滝和尚の開山であるとも、仁和寺の寛遍僧正の開山によるともいわれますが、史実上は命禅上人によって万寿三(1026)年に開基されたという説が有力です。
平安時代後期には小田原寺の迎接上人によって阿弥陀堂が建立され、寛遍僧正によって東密の一派忍辱山流が開かれ、数多くの仏像やお堂が造立されました。その後、応仁の乱の兵火を被り文正元(1466)年にお堂の大半を焼失しますが、栄弘阿闍梨が伽藍の復興に努めます。
江戸時代には将軍の寄進を受けて一大霊場となりますが、明治期の廃仏毀釈に伴って寺勢は衰微し、昭和期に伽藍が整備されて現在の寺観が整えられました。
円成寺は柳生の入口に位置し、境内には本堂や楼門、春日・白山両社が立ち、門前には浄土庭園が広がります。運慶作の大日如来やご本尊の阿弥陀如来をはじめとする数多くのみほとけを有し、そうした仏像を常時拝観することが可能です。
境内を散策する
美しき浄土庭園
東門はもと円成寺の子院であった報恩院から移築されました。
楼門前には平安時代の名残をとどめる庭園が広がり、池の周囲に沿った参道からは美しい景観を楽しむことができます。
庭園は平安末期に寛遍僧正がヴァン字を基調として作庭したと伝わり、その様式は藤原時代に多く建立された阿弥陀堂の前につくられる浄土式庭園にならったものです。
池には中島が二つ浮かび、かつてはここから正面の中島、そこからさらに楼門に向かって朱塗りの反橋が架かっていました。
楼門と浄土庭園、色づき始めた紅葉が調和した景観が個人的に好みであり、晩秋が近づくと毎年円成寺へお詣りしたくなります。
池には錦鯉が泳ぎ、美しい浄土庭園に彩りを添えます。
軽やかで上品な楼門
上層の縁板に記された「応仁二年六月六日奈良宿院四良太良」という墨書から、楼門は応仁二(1468)年に再建されたことが明らかとなっています。
三間一戸、檜皮葺、入母屋造であり、上層は高欄や扉、連子窓を設けないシンプルな構造です。
下層冠木上の欄間には両面ともに花肘木があしらわれ、上記の写真で確認できる正面は蓮唐草浮彫の中央、蓮華上の月輪にキリクを刻み、背面は牡丹唐草浮彫の中央、牡丹花上に宝珠を刻み、いずれも天竺斗に載っています。
軒裏は地垂木と飛燕垂木がともに角形の二軒繁垂木となっており、組物は両層ともに三手先、中備えとして上層は正・背面の中央間に、下層は各間に間斗束があしらわれています。
特異な様式の本堂と定朝様をあらわす阿弥陀如来
『寺縁起』には「寛遍僧正が真言密教の忍辱山流を開くに当たって、後白河法皇が運慶に金剛界の大日如来を造立させ、仏舎利と多宝塔を寄進された」との記述があります。
大日如来と同時期の建立と見られる初代の多宝塔は文正元(1466)年の兵火によって焼失し、二代目の塔は大正年間に鎌倉の長寿寺へ移築され(※)、現在の塔は平成二年に竣工したものです。
※長寿寺の観音堂が多宝塔の初層に該当します
境内の中心に本堂が南面して立ち、その東側に春日堂と白山堂、西側に護摩堂を配します。
応仁の乱の兵火にかかって文永元(1466)年に旧本堂を焼失しましたが、塔頭知恩院の僧であった栄弘阿闍梨の勧進によって同年中に再建が開始され、文明四(1472)年に現本堂が完成したことが棟札銘よりわかっています。
昭和の解体修理の折に現本堂は旧本堂と規模・様式をそのままに再建されていることが確認されました。
本堂は妻入、入母屋造の身舎に廂を附した特異な建築様式が特徴であり、春日造社殿両庇付寝殿造阿弥陀堂と称されます。
梁間三間・桁行四間の身舎の左右に一間の廂を附し、これを身舎の屋根から縋破風にして葺きおろします。
正面三間を板戸、両脇間を連子窓とし、身舎は円柱、廂部分は角柱で作り、隅は舟肘木を用います。
前方には三間の廂を附して吹き放し、中央間を階段とし、その両脇間には床を一段高めて舞台を設け、現在は外陣と呼ばれています。
屋根は明治期の修理以前の檜皮葺形に復元して銅板葺とし、入母屋破風や拝懸魚・桁隠し(降懸魚)は新たに考案されて現在の形となりました。
懸魚に見られるハート形のくりぬきは猪目といい、このようなくりぬきがなされた懸魚を猪目懸魚と称します。
ご本尊を安置する厨子が須弥壇の中心に置かれ、その四方を四天王像が守護します。
- 阿弥陀如来坐像
木造漆箔、寄木造、像高145.8cm、藤原時代、重要文化財
迎接上人が天永三(1112)年に二代目のご本尊としてお祀りした、上品上生の定印を結ぶ定朝様の半丈六像です。穏やかな相貌や丸みがある造形、浅く刻まれた衣の襞などはまさしく正当な定朝様式をあらわします。堂内はやや暗いため少し見にくいですが、華麗で繊細な透かし彫りが施された光背も注目したいポイントです。
- 四天王立像
木造彩色、寄木造、像高114cm~118cm、鎌倉時代、重要文化財
持国天の台座裏に「建保五年四月四日」との墨書があり、康勝(運慶の四男)による造立ではないかと推測され、写実的で動きに富んだ造形は鎌倉時代の作風をよく表現します。
本堂内にはほかにも旧ご本尊の十一面観世音菩薩なども安置されています。
現存最古の春日社殿
当時大社宮司であった藤原時定が安貞二(1228)年の春日大社造営の折に旧社殿を拝領し、円成寺の鎮守社としてお祀りしたのが現春日堂・白山堂です。
大正の解体修理の折に春日堂内から発見された明応三(1494)年の棟札からは、鎮守社と円成寺の沿革を知ることができます。
それぞれ春日大明神と白山大権現をお祀りし、鎌倉初期社殿建築の特徴をよく表します。
両社殿はともに一間社春日造、屋根は檜皮葺であり、棟木のうえに千木と鰹木を載せます。
春日・白山両社の東側には宇賀神をお祀りする宇賀神本殿が鎮座します。宇賀神本殿も一間社春日造ではありますが、向拝を唐破風とする点が春日・白山両社とは異なります。
みずみずしく、気宇壮大な大日如来
運慶作として著名な大日如来は受付と隣接する相應殿に安置されており、明るい照明の下間近に拝観することができます。
- 大日如来坐像
木造漆箔・玉眼、寄木造、運慶作、安元二(1176)年、国宝
現存する運慶によって手掛けられた仏像のうち、最も早い二十代に造立されたのがこの大日如来です。台座裏側の墨書には、安元二(1176)年十一月四日に像を作り始めたこと、制作の対価として上品八丈絹を四十三疋たまわったこと、像は翌年十月に完成し、願主に引き渡されていたことが記されています。また、墨書の最後には康慶の実弟子運慶という銘と花押が添えられています。
本像のような像高100cm前後の仏像の場合、一般的に工期は仕上げまで含めても三か月前後であるため、十一か月というきわめて長い造立期間からは若き日の運慶が試行錯誤しつつ、丁寧に彫り上げたことが伺えます。運慶が最初に造立した仏像でありながら、空間把握力に長けた造形感覚の鋭さが存分に発揮されており、とりわけ腕のゆったりとした構え方によく表されています。
本像からは全身から発するみずみずしさと運慶という仏師の気宇壮大さが感じ取れ、個人的には運慶仏の中で最もお気に入りです。
まとめ
運慶作の大日如来をはじめとする仏像や美しい浄土庭園を有する円成寺。夏には本堂周辺で桔梗が花を咲かせ、秋には浄土庭園を紅葉が彩るなど、四季折々の美しい景観を楽しむことができるのも円成寺の魅力です。
公共交通機関をご利用の場合は、「近鉄奈良駅/JR奈良駅」から奈良交通バス「柳生」・「石打」・「邑地中村」行きのいずれかで「忍辱山」下車、徒歩すぐです。
基本情報
- 正式名称
忍辱山円成寺 - 所在地
奈良県奈良市忍辱山町1273 - 宗派
真言宗御室派 - 指定文化財
国宝(春日堂、白山堂、木造大日如来坐像)
重要文化財(本堂、楼門、宇賀神本殿、石造五輪塔、木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像) - アクセス
JR関西本線「奈良駅」、または近鉄奈良線「奈良駅」から奈良交通バス94系統「石打」行き、100系統「柳生」行き、102系統「邑地中村」のいずれかで「忍辱山」下車、徒歩すぐ - 駐車場
境内前にあり/約15台/無料 - 拝観時間
9:00-17:00 - 拝観料
区分 一般 団体(30人以上) 大人 500円 400円 中高生 400円 350円 小学生 100円 100円 - 御朱印
可/受付にて - 所要時間
約30分
参考
お寺発行の栞・冊子
東京国立博物館. 2017.『特別展 運慶 展覧会図録』東京国立博物館
円成寺のホームページ 最終アクセス2025年1月5日